26th TFTS (T-38A/F-5E)
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1970年代中盤、この部隊がフィリピンのクラーク基地に移動してきたことは、航空雑誌のグラビア写真で見て知った。確か写真には、数種類の迷彩塗装に身を包んだ憧れのタロンが並んでいて、フィリピンのクラーク基地に行きたいという思いが募った。だが、貧乏学生にはとても無理な話である。

タロンが配備されたこの部隊は、1973年に異機種戦闘訓練(DACT)を目的に1975年の8月末まで派遣されたと記録されているが、その後タロンに変わってF-5Eが常駐を始めたので、1977年に初めて嘉手納に姿を見せたF-5Eを見たときは、すでにT-38Aは本国に戻っているものと推測していた。しかし 実際は、数機のタロンがF-5Eに交じってこの部隊に残っていたのだ。1978年の9月 嘉手納に訓練に来ていた2機のT-38Aタロンは、私を大いに感激させた。

 26th Traning Aggressor Squadoron (26th TAS)とも呼ばれている
この飛行隊、第一次大戦前の1914年に生まれた伝統のある飛行隊だった。第2次大戦中は、陸軍の爆撃中隊としてB-17を使っており 真珠湾攻撃のときは、なんとハワイのホイラー陸軍航空基地にいて 難を逃れたラッキーな部隊でもある。大戦後期は、B-29に機種換えし沖縄から本土爆撃に参加した飛行隊なので 元々因縁のある部隊なのだ。

 クラーク配備以降は、26th ASとして嘉手納に展開、今は機体を持たない飛行隊として コロラド州のシュレーバーAFBに名前だけが存在するようだ。
 

Wings

雑誌に掲載された資料によれば、当時26th ASに配備されたのT-38Aは、65-10443(グレー迷彩)、65-10406(リザード迷彩)、65-10400(グレー迷彩)、65-10441(スネーク迷彩)、65-10365(ブルー系迷彩)などであった。上のT-38Aは、65-10389(シルバー)である。

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